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(株)★深大阪プロジェクト
設立の趣旨

今時「大阪大阪と声高に言う方がどないかしてる」。
若い者にとって自分の生まれた街には特別の思い入れは持てない。 ましてや自分が大阪人であると言う事に興味も持ちにくいのが実際のところだ。

ということで、昨今大阪人という概念はますます希薄になる一方である。 理由は単純で、ネイティブの大阪人そのものが少なくなっている上に、 その気概を維持している、いわば誇り高き大阪人がいなくなっていると いうことである。

しかし、自らが大阪人であるという自覚を持った人々は、少ないながらも 確実に存在するし、生まれも育ちも大阪であるというネイティブの 大阪人も、大阪にはまだまだいる。現にここにいる私や "The Deep" in Osakaに集う人は間違いなく大阪人である。
そして、たとえ今現在大阪に在住していなくても、グローバル化の波に乗って 世界各国に点在する大阪人を数えると、その数は決して少なくないはずで ある。そう考えれば「大阪人」は決して単純なマイノリティというわけではない。

一方、大阪人の持つ良い部分を理解できる人が世の中にはたくさん存在する。 その人々は、たとえ生まれ育ちが大阪でなくても、「大阪人の理解者」として ともに手を取り合える存在であると思う。
このような人たちは、目立ちはしないものの確実に増えており、 そのせいもあって、かの吉本興業も東京本社を設立できるに至ったのだと 考える。大阪に対する親しみは一昔前に比べれば格段に向上しており、 大阪弁に対する拒否反応も、かなり緩和されたと言えよう。大阪人の存在は 一つの世界を作り上げると言っても過言ではあるまい。

では、その広大な大阪の世界を心地よく感じる事のできる人々を、 総称してなんと呼ぶべきであろうか。
単に「大阪人」と称するだけでは、従来の解釈と何も区別できないままである。

種々考えてみたところ・・・

新しい定義の大阪人という意味で、「新大阪人」。

新人類という言葉の向こうを張る感じでつけてみたが・・・
「新大阪人」というのは、意味合いや解釈がいくらでも発展してしまい、単に 年代層の区別化と片づけてしまわれる恐れがある。また旧来から引き継いだ 大阪の良いところも、すべて超越してしまうがごとき印象を持ってしまう。 あまりにも軽率すぎる呼称で不適である。

「真大阪人」と称してしまうと、さらによくない。
真の大阪人と呼ばれた人は、気分が良いであろう。しかし真とついてしまえば 下手をすると唯一無二を意味する事になる上に、一般性も自由度もなくなる。 「我jこそは真の〜」と競い合う事からは、自己満足しか生まれないし、大阪に 地盤はなくとも大阪人としての気概を持った人々を排除する事にもなる。

それよりも我々は今一度立ち返り、大阪を理解し極めると言う意味合いを込めて 「深大阪人」と称する事で、誰よりも自由に、自分のおもむくままに、大阪を突き詰めて いきたいと思うのである。そして全世界に散らばる大阪人が、安心して立ち戻れる インターネットの大阪オアシスを創造していく事を、深大阪プロジェクトの 社会的使命と考えていきたいのである。

「エロチシズムと、ナンセンスと、スピイドと、
時事漫画風なユウモアと、ジャズ・ソングと、女の足と」
   ---川端康成『浅草紅団』エログロナンセンス 1930年代


「ダイナミズムと、レトロセンスとスピードと、
時事風刺的なユーモアと、ブルースと酒と、女の乳と」
   ---スーパーWalter☆『深大阪人』"The Deep" in Osaka 2000年代

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